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「美しい会社と醜い会社」の違い
村上登武(TOMAP社長)
自分たちを疑うことができない会社は醜いと思います。「このような会社でありたい」と意思を持ち、そのために自分たちがしていることがあるわけですが、それが本当に間違ってはいないかと疑えるかどうか。人は自分のことを正当化したいし、間違っていると思うのはすごく怖い。けれど蓋をせずにテーブルの上に乗せて、私たちは本当に正しいのだろうかと皆で議論する。常に自分たちのあり方を問い続けている会社は強く、そして美しいし、そういう姿勢を持つ会社を私なら応援したい。
個々人が「こうしたい」「こうありたい」という意思を持てない会社はもっと醜い。会社も社会も人の意思の集合体です。個々人に考えさせない会社はおかしい。会社の理念や創業者の思いが求心力として、個々人の「こうしたい」という意思が遠心力として働き、双方をつなぐ無数の糸がピンと張っているのが、物理的にも弛緩せず安定している。この状態が美しい会社であり、私たちもそこを目指しています。
大野健次郎(五島海運社長)
シンプルに、仕入先や協力先を大事にできる会社が美しいと考えています。五島海運は陸揚げされた輸入車両の横持ち、新車整備、車両保管、物流を一貫体制で担っています。うち40%の業務を協力会社さんに頼っているので、特に協力会社さんには助けてもらっているという意識が強いです。その分、「この協力会社さんは、こういうところが強みだから、こういうところで活躍してもらおう」と、一社一社大事に対応をすることを心がけています。
先代の父が残した理念の中にも「一緒に考え、一緒に苦労し、一緒に闘う運命共同体である」と、協力会社さんとの関係性を表したメッセージがあります。実際、協力会社さんから値上げを求められる前に、私たちのほうから「値上げしましょう」ということが多いのですが、運命共同体という意識があればこそだと思います。
橋本恵美(花咲グループ代表、栃木小松フォークリフト会長)
社員の成長と幸せを会社の発展と一致させるという考え方が、花咲グループの根幹にあります。栃木小松フォークリフトなど5つの会社をグループ内に持っており、それぞれの会社の社長には、社員に10年任期で就いてもらいます。一般にオーナー企業では、創業家ではない社員が社長になることはまれだと思いますが、私は、成長した社員には経営者という場を用意したい。そして各社長には、後任の社長を社員の中から育ててもらい、10年たったら交代する。これが社員の成長と幸せに、そして会社の発展にもつながると思うからです。
世の中に残る会社の条件は、人様の役に立ち続けることです。そのためには、一人ひとりの社員が成長することと、社員の成長と会社の発展を同期させる仕組みが必要です。そのような状態にある会社は美しいと思っています。
福澤直樹(フクザワコーポレーション社長)
人が自然に寄ってくる会社、寄ってきたくなる会社が美しいと思っています。困ったときに「フクザワさんなら何とかしてくれる」と真っ先に頼られる会社。「フクザワさんと仕事をすると良い気持ちになる」と言われるような会社。社内でも困っている人がいたら、自然に助けることができる会社。そういう優しい会社になりたいと思って経営しています。
当社は長野県で土木工事や建設系のシステム開発をしています。建設業界は人手不足で困っている会社が本当に多いのですが、見栄を張るわけではないけれど、うちはそれほど困っていません。社員を募集したら若い方が応募してくれますし、協力会社さんも毎年増えています。母からは「あんたは優しくないから、もっと優しい人になりなさい」と昔から言われていたので、このような経営を目指しているのですが、そのおかげで少しは母の言いつけに応えられているかなと思います。
小坂禎二(電弘社長)
社員一人ひとりが自由に自ら物事を決めて、自分の思うように動いて、それで会社が発展している組織が、一番美しいと思います。つまり性善説経営です。規則やルールでがんじがらめに縛るのではなく、自己決定を尊重する。社員の意見を封じたり、社員を犠牲にして経営者が儲けたり、個が埋没している組織は全く美しくないですよね。
協力会社さんとの関係も同じです。協力会社さんを安くたたいて自社の利益を上げるような会社は必ず衰退します。当社の強みの1つが、それぞれに個性を持つ協力会社さんの顔ぶれだという自負がある。私は下請けという言葉が大嫌い。互いに役割分担をしているだけであり、下請けではない。協力会社さんは対等なパートナーです。
外山茂(茂吉プロデュース代表)
「美しい会社と醜い会社」という分類が成り立つとすれば、それはそのまま「美しい経営者と醜い経営者」が存在するということだと思います。ではその違いは何かというと、結局は心のあり方なのでしょう。経営者がどんな生き方をしたいのか。経営者という人間の思いが、会社の一つ一つをつくり出していくものだからです。
「言葉で語れるものは本質ではない」という禅の根幹を昨日、山名田紹山住職に教えてもらいました(※鎌倉・禅居院での死生観講義を受けたもの)。経営でも同じことが言えるのではないかと思います。言葉はいくらでも語れる。でも、実(じつ)が伴っていない経営者はいる。むしろ、そんな経営者のほうが圧倒的に多い。周りから見られているのは言葉ではなく、実体です。美しい会社には、経営者の華やかな言葉ではなく、些細なことも含めて、一つ一つが意思と意味がある行動で構成されている、そんな実が備わっている。
もっとも、物事は二元論では語れないので、100%美しい会社、100%醜い会社というのも現実には存在しないと思います。あるときは善悪で判断できているけれど、別のときには損得で判断してしまう。そうしたブレをなくし、統合させるのが、経営者の生き方や考え方でしょう。一つ一つの細胞がそれぞれに役割を持ちつつ、統合されている人体のように、経営者は一人ひとりが正しい意思と意味を持った行動をするように環境を整える。完全ではなくても、懸命にそこに向かっている経営者や会社は美しいと言っていいと思います。
須藤貴弘(C2B社長)
二宮尊徳は「道徳なき経済」の罪深さを説きましたが、企業も利益を上げることが目的化してしまうと、本当に醜い。実際、格好いいミッションやバリューを掲げていても、働いている人たちが苦しんでいるベンチャー企業を、私は何社も見てきましたから。少し業績が悪くなると、真っ先に人件費を切り詰めたり、社員に過度なプレッシャーをかけたり、顧客は必ずしも望んでいないのに売りやすいものを売ったりする会社はたくさんあります。
ドラッカーが言うところのインテグリティ、つまり一貫性や整合性が経営者には不可欠です。社会のために、私たちの会社は何をするのか。その中核部分が容易にぶれてしまう会社、あるいは「自分たちのしていることが常に正解だ」と盲目的になってしまう会社は、道徳精神が欠けているのだと思います。私たちの会社は走り出したばかりで偉そうなことは言えませんが、自分たちが掲げる存在意義に誠実な会社でありたいと思います。